3.11ドキュメント。

その時、総武本線下りの電車内にいた。
私用のため会社を早退していた。
都賀駅で停車中、乗降客の動きが終わったにも関わらず
揺れ続ける電車。その揺れが尋常じゃない様子と変わり、
外を見れば4〜5階建ての建物が、もしかしたら倒れそうな
揺れ方をしている。


しばらく後に揺れが収まって。
「おぉ〜、すげー地震だった」
という感想。
すかさずケータイで妻にメール。
返信がないので電話を掛けてみると無事とのこと。
これから娘を小学校まで迎えに行くと。
この日長男は学校が休みで在宅。
次男は午前中試験で昼には帰宅していた。
親父も在宅ということで、
この時点で家族全員の無事は一応確認できた。


しかしすぐに第二波、第三波の地震が来た。
「これはまずい」
今ココにいる自分の生き死には別にして
直感的、本能的に、まずい!と感じた。
「天変地異」という言葉が頭を駆け巡った。


その後30分ほど電車内の座席に座りながら考えた。


過去のJRの事故や故障や悪天候の際の
運行状況から想像すると
きっと電車は今日中には動き出さないだろう。


そして今日は金曜日。
できれば自宅に戻りたい。
ここから自宅まではおよそ40km。
徒歩帰宅する場合、1時間で4km歩くとして
到着は10時間後。


iPhoneを取り出して
千葉みなとにある職場までの距離と道筋を確認する。
約6.5km。1時間半程度で着く算段だ。
体力の温存と情報の収集を考えれば、
職場に戻るのが一番の得策だと判断した。
時計は15:30を指していた。


電車を降りて出口に向かう。
駅構内のコンビニは営業していたので
ペットボトルの水を一本買った。
水なら飲めるし、ケガをしたら傷の消毒もできる。
それに開封後も長持ちする。
(一週間や10日は全く平気)


iPhoneのマップで道と方向を確認しながら進む。
今思うと、感覚だけで歩いたら全く正反対に
進んでいたので、iPhone様々だった。


職場に電話をしても通じない。
歩きながら考える。
職場に人は残っているのか?
職場に戻っても事務所には入れなければ…
まぁ、最悪はロビーで夜露をしのげばよい。
そんなことを考えながらひたすら歩いた。


財布の中身が2千円を切っていたので
少し現金を下ろしたいと思ったが
何件かのコンビニは営業を停止していた。


道中、逆向きに歩く人の数が増えてきた。
皆、電車やバスが動かないので徒歩帰宅している。
同じ職場の人とも何人かすれ違った。
もう会社には誰もいないよ、と言われる。
それでも職場に向かって歩くしか選択肢は無かった。
西の空からは真っ黒な雲が迫ってきた。


JR千葉駅に着くと
バスとタクシー待ちの人でごった返していた。
雰囲気的に殺気立っている様子はなく
粛々と整列していたし
すれ違う人達もおたがいに道を譲り合っていた。
日本人の助け合い精神は生きていた、と思いつつ
パニックを起こしたくない恐怖心から、
平静を装いたかったのかもしれない。
とも思った。


JR千葉駅から、そごうを通り抜けて新町方面へ。
ここから職場までは、酔っ払っていても歩ける。
町中を歩く人の数は何かのイベントがある時よりも
確実に多かった。
千葉市役所を通り抜けて みなと公園へ。
液状化現象で歩道に砂と水が沸き上がっていた。


職場のビルを見ると灯りが点いていたので一安心し、
職場の目の前にあるセブンイレブンに飛び込んだ。
とあえず現金を下ろす。すべて千円札で。
それから、缶コーヒーと肉まんを購入。


職場のビルの階段を上っていく。
階段で同じ職場の女性とすれ違う。
「どうやって帰るのだろう?」と思いつつ…


事務室の前につくと、最終責任者の部長が出てきた。
ひとしきり状況を説明。
結局、職場の車で帰ることになった。
さっき階段ですれ違った方を同乗させることになり
あわてて部長がその人を呼びに行った。
経路は、千葉みなと発、一宮町経由、八日市場駅前。
なかなか走らない道のりだ。


肉まんとコーヒーで一息入れてから
事務所を出発したのは17時半くらいだったと思う。
都賀からの徒歩により足の裏に大きな豆ができていて
ほっとしたことにより痛みを感じるようになっていた。
駐車場までの数百メートルの徒歩が大変つらかった。


ルートは、まずは国道357を南下。
左折して茂原街道を突き当たりまで行き、
国道128号を右折。あとは一宮までまっすぐ。


ところが館山道の通行止めと
コスモ石油千葉製油所の火災の影響により
357号線が大渋滞。
普段10分程度の距離を2.5時間掛かってしまった。
茂原街道に入ってからは逆に真夜中のように空いていた。
このあたりから一宮までの道すがらを見る限り、
地震の影響は微塵も感じられなかった。


職場の方を送り届けて帰路につく。
時間は21時を過ぎていた。
明日の飯の足しでも買おうかとコンビニに寄ったが、
弁当やパンの類は品切れだった。


一宮から自宅までのルートは、128号で大網まで行き
右折して県道83号線を白子町方面に向かう。
左折して県道123号線に入り、
あとは(旧)野栄町までまっすぐ行く。
本当は国道128→126といくのが楽だが、
女房の情報で停電のため信号も消えているとのこと
だったので、安全を考慮してのルート選択をした。


一宮から茂原は全く何の問題も影響も無い様子だったが、
大網白里町に近づくと異様なほどの「闇」が広がっていた。
そして、大網に入った途端、その闇の中に突入した。
その闇は八日市場まで続くことになる。


国道を走っている間は自分が優先道路なので良かったが
県道に入ると交差点のたびに減速、パッシングなどしながら
慎重に進んだ。
何台か、何も考えずに猛スピードで交差点を横切る車と
出くわしたが、あれは自殺行為だ。
途中で渡った九十九里町の真亀川はいつもと流れが逆だった。
地震発生から数時間経過していたが津波は収まっていなかった。


23時を過ぎてようやく八日市場の市街地に入る。
家まで後、数百メートル。
見慣れた町並みだけれど見たことのない風景だった。
駐車場に車を止めて車外に出る。
空は晴れていて、星がこれでもかと良く見えた。
でも足下は真っ暗で何も見えないので
ケータイのライトで道を照らしながら歩いた。


家の前について家を見上げる。
真っ暗なこと以外は何も変わっていない。
玄関に入り、靴を脱いで上階に上がる。
とにかく真っ暗だったがリビングにたどり着くと
ローソクの灯りで家族全員が布団を敷いて
寝転んでる姿が見えてきた。


「いやいや、まいった」
「大変なことになっちゃったねぇ」
などとあまり意味のない会話を女房と交わしてから
家の中をあちこち歩き回る。
あまりの物の乱雑さ加減にボーゼンとしながら、
それでも建物自体が無事だったことと、
何より人間に物的被害がなかったことを
回らない頭で加減算した。


スーツを脱いでジャージに着替える。
情報が欲しくてラジオをつけるも電池切れ。
そこでiPhoneを起動してradikoをつける。
途切れることもあったがラジオから地震に関する情報が
流れてきた。
バッテリー残量が少なかったのでエネループ充電器に
つなぐ。
強めの余震が頻繁に襲ってくるたびにiPhoneで情報確認。
そのうち余震にも慣れてしまい、とにかく寝ることにした。


どこまでが夢でどこからが現実なのかわからない…
というのではなく全て現実だと理解はしていたが、
余震が発生するたびに防災無線が鳴り響き、
無機質な声が「地震が発生しました」と繰り返す。
実際の揺れが収まって一息ついたタイミングで鳴るので
そこでまたびっくりする。
一回の地震で二度びっくり。
やめてほしい。


翌朝。
まだ電気と水道が使えない。
親父から単4電池2本を貰ってラジオに入れた。
チューニングをNHKに合わせると、地震に関する情報が
流れてきた。
ラジオから新しい情報が得られるという実質的な
有りがたさと、ラジオの「音」を聴くことにより
こわばった気持ちが緩む効果があり、ほっとした。


そして水。
我が家は水揚げに圧力ポンプを使っているので
停電が回復しないと水道が使えないのだが、
地上にある蛇口だけは直結なので使える…はずだった。
ところが水はチョロチョロしか出ない。


チョロチョロだけど出ているので、これをバケツに
汲んでおくことにした。
しかししばらくするとチョロっとも出なくなってきたので
ここから4.2kmのところにある倉庫の井戸まで
車で水汲みに行った。


水汲みから帰宅すると程なく復電。
ここで我が家の額的最大被害が発覚。
デジタル液晶テレビの液晶が割れていた。
購入して2年弱経過しているので修理は有償。
きっと数万円掛かる。
修理のことは後で落ち着いたら考えよう。


とりあえず、息子達の部屋用に購入した安物テレビを
リビングに設置。
これで情報収集ができる。
約一日ぶりにテレビが映った。
しかし水道は別の問題を抱えているようですぐには
復旧しなかった。


ここまでが地震発生からのほぼ丸一日。