ペットロスト症候群。

 もう二ヶ月近く前のこと。女房の実家で18年間一緒に暮らしたムクが亡くなりました。ムクは雑種で毛足の長いメスの中型犬でしたが、私はムクに犬とかペットという感覚で接したことはなく、良く冗談交じりで「ムクは犬じゃないよ。ムクはムク様だ。」と言っていました。本当に犬らしくないというか、飼い主や人間に対して完全には服従しない気位の高さに尊敬の念さえ抱いていました。

 ムクは特別に芸達者であるとか愛嬌があるということはなく、散歩の時に鎖からリードに付け替える時の隙をついては脱走を繰り返し、お手やお代わりすら面倒くさそうにする性格でした。そういうこともあって犬らしくない、犬じゃないと思うようになったのだと思いますが、私が遊びに行くと私の車がまだ人間の耳ではエンジン音さえ聞こえない距離にいる時からキュンキュンと鳴いて待ちきれない様子でいたそうです。ちなみに最初に乗っていた車はFIAT500でしたから、非常に特徴的だし騒々しいエンジン音ということで聞き分けがしやすかったのだと思いますが、その後、ホンダのアコードワゴンやステップワゴンに乗り換えても、やはり遠いところからキュンキュン鳴いていたといいますからエンジン音を聞き分ける能力に長けていたのでしょうし、私のことを気に入ってくれていたことを嬉しく思います。しかし晩年は車を降りてムクの小屋に近付いてからキュンキュン鳴くようになりましたから、聴覚も衰えていたのかもしれません。

 そんなムクを女房の両親はまさに家族のように可愛がっていました。いわゆる猫っ可愛がりではありませんでしたが想像するに、同居している息子(女房の弟)家族の子どもたち、つまり孫のしつけの思うようにいかない部分を穴埋めしてくれる存在がムクだったような気がします。孫たちには親に遠慮してストレートに物事を言えないことが多いと思いますが、ムクは完全に自分の管理下だったので、食事や散歩や診療など全てを自分の判断で決めることができたことが、精神上の安定化に寄与していたのだと思います。ムクをストレスのはけ口にしたり、ムクに愚痴を言うなどの擬人化はしていませんでしたが、ペットでも子でも孫でもない家族という存在がムクだったのだと思います。

 本当の意味で可愛がっていたムクが亡くなったことは、私が残念に思う何倍も、女房の両親、とりわけ義母は残念に思っていることでしょう。実際にしばらくは寝不足が続き仕事にも影響があったそうです。そういうことを引きずってはいけないと理性的に考えられる人なのですが、それでもしばらくはガックリした気持ちが続いたそうです。

 そういうことがあり、またここしばらくご無沙汰だったし、うちの子どもたちの顔も見せていなかったので、お盆休みには盛大にバーベキューをしたり、どこかにドライブに行こうかと考えました。私自身もお祭りの大役から解放されたので動きやすくなったというのも幸いしました。最初は南房方面にドライブに行こうと誘いましたが、新盆見舞いなどがあって出かけられないというので、バーベキューをメインに一泊で女房の実家に遊びに行くことにしました。

 土曜日はうちのお墓参りをして、ご先祖様には本当にいつもご迷惑をお掛けして申し訳ありませんと謝りつつ、今後もどうぞよろしくなどと都合の良いご挨拶をしました。そしてランチはお気に入りのラーメン屋さんで各自好みのラーメンと餃子を頂いたのですが、私はなんだか体調が良くて、腹一杯食べた直後でも走り回りたいほどテンションも急上昇してきました。その勢いで女房の実家に到着。日中は茶飲み話をしたり、義母が飼育しているグッピー(うちの長男が指導しています。)の水槽を長男が洗ったりして過ごし、夜は近所の食堂に行ってご馳走になり、その後は義弟夫婦も合流しての前夜祭的宴会で盛り上がり、その後ぐっすり眠りました。

 翌朝女房の両親は早朝からお墓参りでしたが、義母は義父を見送ってから二度寝したと言っていたし、顔色も良かったので安心しました。そして朝食の後、バーベキューの買い物がてら、近場だけど佐原までドライブしました。佐原では忠敬茶屋に行って佐原囃子のCDを買い込むという超私的な目的を達してさっさと帰還。そういえば娘にせがまれて子供用の篠笛も買いました。一応道中のドライブは私と女房と娘といとこの中の最年少の女の子と女房の母親ということで、女房の母には少しはリフレッシュしてもらえたと思うことにします。

 バーベキューは午後三時頃から順次開始。いや、ビールの美味いこと美味いこと。缶ビールでしたが、氷水でぎんぎんに冷やしたビールは心の底から美味かった。そして焼き肉。少し高いけどコレも美味い。奮発した甲斐があったというものです。他にもししゃも・あさり・にんにく・アスパラ・ソーセージ・かぼちゃ・自家製とうもろこし等々、たらふく食べました。その後バーベキューは夜の九時まで続きましたが、私は夕方から昼寝をして、夜の十時までぐっすり眠ってしまいました。私は見られませんでしたが、最後は花火で締めくくったようです。美味しいものを頂いてぐっすり眠る、コレこそ至福のひとときですね。結局自分が一番リラックスしてしまった週末でした。

 この週末だけでムクを亡くした寂しさを完全に払拭することはできないと思いますが、少しでも気分転換になってくれたら良いと思いますし、またちょくちょく遊びに行かせてもらおうと思います。

 ムクの人生(あえて人生と書きます。)は幸せだったのか? 野生の本能としては鎖に繋がれたり鍵の掛かる小屋に入れられるストレスも大きかったでしょう。たとえ寿命が短くても自由奔放に野山を駆け回り自分の子どもを育てる人生のほうが幸せだったかもしれません。ムクは幸せな人生だったというのは人間の勝手な言い分なのでしょう。だからムクには、楽しいひとときを一緒に過ごさせてもらってありがとう。この言葉を贈ります。