見失い、気付くこと。

 自分は精一杯にやっている。これ以上何をどうしろと言うの?

 ボーイスカウトの話ですが、これが一昨日までの自分の気持ちでした。自分なりに精一杯に、一生懸命に、良かれと思ってしてきたことを半ば以上に否定された時、ふざけんなよ!と思いました。その晩はあまりに悔しかったのでしょう、夢を見たわけでもないのに自分で意識しないまま寝ながら涙を流していました。そして区切りを付けて指導者を辞めよう、子供たちも退団させよう、親父にも団委員長を辞めてもらおうと思いました。もともとボーイスカウトの指導者という器じゃないし、ボーイスカウトの掲げる育成方針にも疑問だらけなので、ボーイスカウト自体に未練はほとんど無いのですから。それが真理だと思いました。

 しかし翌日、指導者の一人から電話があって、今冬の団行事であるスキーについての相談がありました。話をするうちに、スキーの件は表向きの用事であって、本当は私が周りから集中砲火を浴びたことに対して心配してくれていることが伝わってきました。その会話の後、特定の人々の個別の発言に対するわだかまりは残っているものの、もう一回気合いを入れてやってやろう、というモチベーションが高まってきました。理由は自分でも良くわかりませんが、復讐や逆襲という感情よりも、いっちょうやったるか!という前向きな気持ちが強いです。

 考えてみれば、冒頭に書いたような気持ちというのは、結局は消極的な気持ちでしかボーイスカウトに携わっていなかったことの表れのような気がします。上手く表現できませんが、これからは同じことをするにしても、気持ちは積極的に持とうと思います。