色々あって良いわけですが。

 PDAコンソーシアムのこのコラムを読みました。現状を憂いだり、過去を罵倒する「だけ」では意味がないのであり、だからこうする、という提案や意見がなければなぁ、と思いました。まぁ次回のコラムではその提案をされるということなので注目したいと思います。それからもうひとつ気になったのは、

「例えば、「携帯電話」、「iPod」を代表とするオーディオマシン、デジタルカメラ、そのどれを取っても「それ何に使うの?」という質問をする人もいなければ、それらのスペックを論議する専門誌も存在しない。人は、電話をしたいから買い、音楽を聴きたいから買い、写真を撮りたいから買う。こういった製品が、パソコンから離れて存在しているということに注目しよう。例えパソコンと連動して、より便利な使い方があると分かっても、それらがパソコンの子分的な存在だとは、誰も思っていない。」

という下り(長い引用で申し訳ない)で、私の周りの人たち(家族ではない中学生、高校生、自営業の先輩、後輩など色々)の多くは、ケータイに搭載されているデジカメの画素数や対応機能(着メロ、財布機能など)、オーディオプレーヤーの収録可能曲数などのスペックを気にする人が多くいますし、ケータイやオーディオプレーヤーの各種データをうまくパソコンで管理したいと(漠然とですが)考えている人も割と多いです。そこから判断すると、このコラムを書いている方は現状分析をしているのではなく、単に自分の思いこみだけで書いていると言えます。そしてそれは別に悪いことではないので、「私は〜と思う。」とかの表現にすれば良いのになぁ、と思いました。

 で、私の意見ですが、今ケータイにはまっているような人は、その昔私がミニノートPCやPDAをさわり始めたのと、動機や目的がそんなに違っていないと感じます。違うのは、そういう分野に興味を持った時に、今の人たちには多くの選択肢がすでにあったということです。そしてケータイは実用上も必須なので、どうせなら色々なことができるケータイを買おうという単純な発想であり、別にケータイ事業者が明確なコンセプトを打ち出したから今日の繁栄がある訳じゃないと思います。ケータイとPDAを比べると、商品分類的にケータイは生活必需品、PDAは便利娯楽品という感じなので、PDAは持っているけどケータイは持っていない人は希だと思われ、この時点でPDAがケータイと張り合おうとすることは無理だし意味もないと思います。便利娯楽品なら便利度や楽しさを追求していけば良いのであって、その意味ではPDAメーカーの努力が足らないとは思いますが、けっしてそのユーザが責められることではないと思います。